教会Q&A

【ミサについて】

・聖体拝領について

・ミサで読まれる聖書の部分について

・ヴェールについて

・共同祈願について

・ミサの服装について

【典礼について】

・「過越の三日間」について

【磯子教会について】

・奉仕項目について

・名札について

【その他】

・「ハレルヤ」「キリエ」・・・などのラテン語について

【 ミサについて 】

 

Q.

聖体拝領の後、どこに向かってお辞儀をすればいいのでしょうか。

 

A.

聖体を拝領するとき、司祭は「キリストのからだ」と宣言し、私たちは「アーメン」と信仰を告白します。聖体を拝領した私たちはキリストと一致します。したがってどこに向かってもお辞儀の必要はない、と考えます。大切なことは、自分の心にイエスさまを迎え、種々のお願いをするだけではなく、イエスさまとともに私たちを父である神にささげ、聖霊の働きによって、教会共同体のすべての人が、お互いにキリストにおける兄弟姉妹として仕え合うことができるように祈ることだと思います。    

(典礼委員長)

 

Q.

主日のミサで読まれる聖書の部分はどのように決められているのでしょうか?

 

A.

2バチカン公会議(1962〜1965)は、聖書を通して神のことばを聴くことの大切さを強調しました。典礼

憲章は、「信者に神のことばの食卓の富を豊かに与えるために、聖書の宝庫を今まで以上に広く開かなければならない。そのために、数年を一定の周期として、聖書の主要な部分が会衆に朗読されるべきである」(51項)、とうたっています。

 

これを受けて教会は、信者が神のことばの豊かさをより深く味わうことができるように、主日の朗読を3つに増やし、3年周期で「聖書の主要な部分が会衆に朗読される」ように配分しました。

待降節の第1主日から始まる典礼暦年は、「聖なる過越の3日間を頂点とする、四旬節と復活節の期間(季節)」、「主の降誕を中心とする、待降節と降誕節の期間(季節)」、「それ以外の主日の期間(年間)」から成っていますが、信者が聖書をとおしてキリストの福音、過越の神秘、救いの歴史、メッセージなどを理解し、味わえるように朗読箇所が選択されています。

 

四旬節は、復活徹夜祭に入信の秘跡を受ける志願者の最終的準備期間ですので、入信志願者が「清めと照らし」の期間を、共同体と共に準備ができるように朗読箇所が選ばれています。聖霊降臨祭まで続く復活節は、「入信の秘跡直後の導き」の期間であり、新信者が、復活節の典礼を通して信仰生活を深め、共同体の一員として、共同体の導きのもとに、信仰の道を歩み始めるのにふさわしい箇所が朗読されます。

 

待降節は、キリストの誕生と、キリストの再臨を待ち望む準備の期間であり、降誕祭には、主の降誕を記念します。降誕節には、聖家族の祝日と、神の母聖マリアの祭日が含まれています。

 

聖書は福音書を中心として、A年は主としてマタイ、B年はマルコ、C年はルカの福音書が朗読されます。神学的に深いヨハネ福音書は、その特別な性格のために、復活節などに朗読されます。福音書の前の第1朗読は、原則的には旧約聖書、第2朗読は使徒書から選ばれています。第1朗読は、朗読される福音との関わりで選ばれています。それは、「旧約の中に新約が隠れており、新約において旧約が明らかになるから」(朗読聖書の緒言5)です。使徒書は、使徒たちが教会共同体に宛てた手紙を通して、「生きているイエス」に出会った真実を通してキリストを証しします。

A年、B年、C年について言えば、西暦年号を3で割って1余る年がA年、2余る年がB年、割り切れる年がC年です。今年は2009年で、3で割ると2余るのでB年で、ご存じのように福音書は主としてマルコによる福音が朗読されています。この周期は、西暦紀元(A.D.−Anno Domini「主の年」)1年、つまりキリストがこの世に生を受けた年をA年と想定して定められたようです。 

 

聖書朗読の中心は福音書です。「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」は「福音の朗読はことばの典礼の頂点である。福音の朗読に最大の尊敬を払うべき」(60項)だと述べています。「聖書が教会で読まれるとき、キリスト自身が語る(典礼憲章7)」ことも銘記すべきでしょう。

 

 「すべてを治める主なる神。わたしは、あなたのことばを与えられ、それを食べた。

     あなたのことばは、わたしの喜び、心の楽しみ。わたしはあなたの名で呼ばれている者。」

                                                 (エレミヤ15:16)                           

                                   

(典礼委員長)

 

Q.

女性がミサに与るとき、以前はどこの教会でも殆どの人がヴェールをかぶっていました。最近は、教会によっては、かなりバラつきがあります。先日のカトリック新聞を見ましたら、長崎の教会では大部分の方がヴェールをかぶっている写真が載っていました。このヴェールを洗礼の時、一度だけではもったいないような気がします。改めてヴェールの意味を教えてください。

 

 

A.

確かに40年ぐらい前まで、女性はミサ中にヴェールをかぶっていました。その姿に憧れて洗礼を受けた女性もいたと言われているほどです。でも、その意味は何だったのでしょうか。

19世紀の後半、パリ外国宣教会のフランス人宣教師が、フランスの教会制度、文化、思想、教育などを伴って日本に来ました。当時、ヨーロッパの女性は皆、服装の必要な一部として帽子をかぶる習慣がありました。また、女性が聖堂内で帽子をかぶることが、古い教会法典では、「女子は、特に聖体拝領台におもむくときは、頭をおおい、慎み深い服装をしていなければならない」(長崎教区HPより)と定められていたそうです。おそらくそれは、コリント教会の典礼集会において「女はかぶり物をかぶりなさい」(Tコリント11:7)、と書いたパウロの言葉に由来していたのかもしれません。それはパウロの時代の特別な事情があってのことでしょう。因みに、1983年に公布された新教会法典にはこの規定はありません。

来日したフランス人宣教師たちは、着物姿の日本の女性に帽子は似合わない、何かふさわしいかぶり物を、と考案したのが白いヴェールだったようです。このヴェールを洗礼式のときに授与し、女性の慎しみ深さと謙虚さのしるしとしてミサのときにもかぶるようになった、と私は考えます。

では本当の意味は何でしょうか。洗礼式のときに、「ヴェールをかぶりなさい」という言葉はありません。洗礼の水を注いだ司祭は、受洗者に白衣を着せ、「白い衣を受けなさい。あなた(がた)は新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい」と言います。つまり典礼的にはヴェールではなく、男性も女性も白衣をまとうことが望まれるのです。入信の秘跡を受けて新しい人となったキリスト者が、常に同伴してくださるキリストと共に、御父への道を歩むしるしとして、ということです。

初代教会では、復活の8日間が大事にされ、復活徹夜祭に洗礼を受けた信者たちは皆、白衣をまとい、8日目にそれを脱ぎました。復活節第2主日はかつて、「白衣の主日」と呼ばれていました。2000年からは「神のいつくしみの主日」と呼ばれるようになったことは、皆さまよくご存じのことです。これも時代の一つの変化でしょう。

最近、洗礼式の時、ヴェールを使用しないで、男性も女性も同じケープのような白い衣を使用する教会が増えてきました。典礼的に意味があると思います。

長崎の地では、祖先から受け継いだ伝統的習慣を大切にし、今でもヴェールをかぶる女性が多いのでしょう。新教会法典は、ヴェールの着用を禁止してはいません。ですから、ヴェールの着用は自由だと思います。大切なことは、私たちは皆、男性も女性も、洗礼式のときにキリストを着、キリストの使命に生きる者になったことを常に意識していることではないでしょうか。

パウロは、「洗礼によってキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(ガラテア22:27)、と言っています。                          

(典礼委員長)

 

 

Q.

共同祈願を作成する場合に心がけなければならないことは?

 

A.

ことばの典礼の結びとして捧げられる共同祈願は、とても大事な祈りです。洗礼を受けてキリストのいのちに与り、堅信によってキリストの使命に与る私たちは、全世界のすべての人の救いのために祈る大切な役割を与えられています。

 「聖書と典礼」を見てお分かりのように、信者の祈りである共同祈願は、「招きの祈り(前文)」、「意向」、「一同の応唱」、「結びの祈り(後文)」から成っています。前文と後文は司祭が唱えます。意向が読まれた後に会衆は心を合わせて、磯子教会の場合は、「主よ 私たちの祈りを聞き入れてください」と祈ります。そして最後は、会衆全体の同意を表す「アーメン」という宣言で結ばれます。

共同祈願の意向を述べるように依頼された方は、「聖書と典礼」を利用し、4番目の(それぞれの共同体のために祈る)を自分で作っているケースが多いと思います。それでも結構です。ただ、ご承知のように「共同祈願の意向」には(例文)と書かれていますから、本来は信者が自分で作ることが望まれています。そこで、意向を作るにあたっての心得を参考に供しましょう。あまり難しく考えないで、素直な気持ちで作ってください。その際、「聖書と典礼」をとっておき、共同祈願の例文を読むとよい参考になります。

 

【意向を作るにあたって】

1.共同祈願の「意向」について「ローマ・ミサ典礼書の総則」(新6971)は、通常、次の順序で行う、とうたっています。

@「教会の必要のため」

A「国政にたずさわる人々と全世界の救いのため」

B「困難に悩む人々のため」

C「現地の共同体のため」

  この順番や内容に束縛される必要はありませんが、心に留めておいたらいいと思います。複数の方が分担される時には、何番目を担当するかを考えておきます。

 

2.共同祈願は全体として、神である父に向けての祈りであることを忘れないようにしましょう。(祈りは通常、御父に向かって、聖霊の交わりの中で、御子を通してなされます)。できれば 祈りの大事な要素である、賛美・感謝・信頼・嘆願が含められたらいいでしょう。

 

3.意向を作る場合に、当日の「ことばの典礼」の呼びかけを理解するように努めます。みことばに照らして、今、教会共同体が必要としていることを考え、私たちとして実践できる恵みと力を意向として述べます。意向は祈りではありませんから、文章の結びは「・・・しますように」となります。

  例えば、手元に、復活節第3主日の「聖書と典礼」があります。第1朗読は、聖霊を注がれたペトロが、ユダヤ人に向かって、主の復活を証しする場面です。第2朗読のペトロの手紙は、キリストを死者の中から復活させた神への信仰と希望について述べます。福音は、よくご存じの、「エマオへの道」の物語です。それを受けての共同祈願の意向(例文)を読むと、上記の順番の意味がある程度理解できるでしょう。

・わたしたちのうちに、いつもともにおられる主キリストの姿を信仰をもって仰ぎ、その導き

に従っていくことができますように。

・主の復活の神秘に多くの人を招いてください。あわただしい日常を生きる人々の心が、神の呼びかけに向けて開かれていきますように。

・神よ、病床にある人々を顧みてください。苦しみや痛みをともに担ってくださるキリストが、いつも力づけてくださいますように。

(それぞれの共同体のために祈る)

 

4.「ことばの典礼」だけではなく、日本や世界の現状を思い巡らしながら、今、何が必要で、共同体にどのような力と恵みを願うかを考えます。例えば現在の日本においては、東日本大震災の犠牲者や被災者のために祈ることは大切です。同時に、私たちに実践できる恵みを願うことが大事だと思います。

 

5.意向の内容が、個人的な祈り、説明、アドバイス、長い文章やお知らせにならないように注意します。共同体が共に祈ることのできる簡潔な祈りを目指したいものです。

 

6.子どもが共同祈願を作る時、子どもの意向を大事にし、大人が作ったものを読ませないように、事前に話し合って準備することが大切です。

 

7.Cについては、各小教区共同体の行事や典礼歴(入信志願者のためなど)に即した祈りを作ります。

(典礼委員長)


Q.

ミサにあずかる際の服装などで、注意すべきことはありますか?

  
A.

   ミサにあずかるために服装の決まりはありません。普通の常識的な服装でよろしいと思います。ミサで私たちはイエスさまに出会います。それを心に留め、あまりに派手な服装、突飛な服装でなければ結構です。余談ですが、夏、たとえばヨーロッパなどの教会を訪れますと、男性でも女性でも、肌もあらわな服装の場合は、覆うように注意を受けます。聖なる場所にふさわしい服装を、という考えからでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

【 典礼について 】

 

Q. 

「過越の三日間」について教えてください。

 

A.

「主の受難と復活からなる過越の聖なる三日間は、全典礼暦年の頂点として輝きを放っている」と「典礼

暦年と典礼暦に関する一般原則18項」は述べていますが、その前に、準備の季節である「四旬節」から説明しましょう。

 

「四旬節」

四旬節は、灰の水曜日に始まり、主の晩さんの夕べのミサの前まで続きます。主の復活に向かうこの季

節は、入信志願者にとっては、入信の秘跡を受ける最後の学びの期間であり、入信の心の準備に努めます。特にA年の四旬節の主日の福音は、その養成のために選ばれており、良い学びになります。信者は回心、つまり、神と人に心を向け、愛の業と償いに励み、自分が受けた洗礼の恵みについて思い起こします。また、共同体として入信志願者のために祈りながら、志願者が共同体の交わりに入ることができるように配慮します。

 

「過越の三日間」

この三日間を、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日と数えますと、復活の主日を含め四日間になってしまい

ます。伝統的にこの三日間はユダヤ暦に合わせます。ユダヤ暦は、現在のイスラエルもそうですが、一日は日没に始まり、日没に終わります。この数え方は、創世記に由来します。光を創造された神は、「光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」(創世記1:5)、とあるように。

第一日は、木曜日の日没から金曜日の日没まで、すなわち最後の晩さんの夕べのミサに始まり、正式には午後三時ころに行なわれる金曜日の「主の受難」の式で終わります。最後の晩さんのミサの中で洗足式が行なわれますが、これは主イエスが「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)シンボルとして行なわれます。

第二日は、金曜日の日没から土曜日の日没までで、典礼がありません。心静かに、主の受難と死を思います。その意味で、祭壇の飾りを取り除き、十字架や聖像を紫の布で覆います。

第三日は、ユダヤ暦で言えば、「週の初めの日」であり、復活徹夜祭から、復活の主日の夕べに唱えられる「晩の祈り」(教会の祈り)で終わります。復活徹夜祭は一年の典礼の中でもっとも盛大な祭儀で、「闇から光へ、死から復活へ」を強く印象づける祭儀です。この祭儀の中で、入信の秘跡が行なわれ、新信者を共同体全体で喜び迎えます。

 

「復活節」

「復活の主日から聖霊降臨の主日に至るまでの五十日間は、一つの祝日として、また、より適切には大

いなる主日として、歓喜に満ちて祝われる」(典礼暦年と典礼暦に関する一般原則22項)と書かれているように、主の「過越」を祝う「主の日」の喜びの延長と考えられます。復活節で大切なことは、復活徹夜祭に入信の秘跡を受けた新信者が、神の愛の証し人としての第一歩を踏み出すことができるように、共同体が積極的に支援することです。典礼または教会の奉仕に誘うような配慮が必要です。

 

(典礼委員長)

 

 

 

 

 

 

【 磯子教会について 】

 

Q.

 信者ではありませんが、いろいろとお手伝いをしたいと考えています。磯子教会には奉仕項目があるとうかがいましたが、どのようにしたらよいでしょうか。

A.

 信者の方も信者でない方も基本的にどの奉仕項目に申し込むこともできると考えます。しかし、ごミサに直

接かかわることですと、何かお勉強が必要になってくるかもしれません。もう少し気軽にお手伝いいただけ

るものに次のようなものがあります。

 

22番:会計事務

当番制で月に1度、日曜日のミサの後1時間ぐらいの手伝いです。難しい作業ではありません。メンバーの説明を受けるだけで、どなたでもすぐに参加できます。

 

32番:営繕と植木の手入れ

植木の手入れと聞くと、木の剪定ができないといけないような気がしますが、庭の草むしりだけでいいのです。この夏の間、2〜3人の方だけで汗だくになって草むしりに追われていました。2〜3人では、取っても取っても草の伸びるスピードに追い付けません。ごミサにいらしたついでにでも、散歩の途中でも、1人でぶらりといらして、好きな時間だけ草を刈り、ビニール袋に入れて司祭館横の物置の前に置いておいてくださればいいのです。

 

33番〜35番:お掃除

金曜日や土曜日に時間を決めてグループでお掃除をしています。

 

43番:料理担当

女性限定の奉仕項目ではありません。男性の参加をもっともっと期待しています。年に1〜2回、教会行事のパーティーのお食事の準備をします。新しいお料理の知恵が得られて楽しいです。

 

44番:聖堂座布団洗濯係

みなさんがごミサのときに座っている座布団を自宅に持ち帰って洗濯します。どの座布団をどのように洗うかなどの説明があります。

 

他にも、写真が取れれば写真係、生け花が出来れば花を生ける係、オルガンが弾ければオルガンの係などもあります。このように書きますと、どうして私たちのグループのことは宣伝してくれなかったのかとクレームが来そうですが、基本的にどのグループも人手不足です。

こちらからご連絡をさしあげるのにお電話番号が必要です。奉仕項目申込書が聖堂後ろに置いてありますので、ご記入の上、聖堂入り口の『月刊磯子ニュースQ&A』の箱にお入れください。

なお、信者の方でしたら、聖堂入り口の奉仕項目一覧表にお名前をフルネームでお書きくださるだけで結構です。

 

Q.

 名札は信者以外の方でもお願いしてよろしいのでしょうか。

A.

 もちろんです。信者でも信者でなくても、日本人でも外国人でも、磯子教会にいらっしゃるすべての方と

お名前がわかってお話ができたらと考えています。

聖堂入り口、入って左手の壁に名札申し込み用紙が貼ってありますので、お名前とお住まいの地区名をお書きください。出来た名札は、その横の箱に入れておきますので、忘れずにお持ちください。

ご不明なことがありましたら、遠慮なく案内係(752-2338)までお問い合わせください。

(教会委員長)









【 その他 】

 

Q.

「ハレルヤ」「キリエ」「グロリア」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」「ミゼレーレ」「アヴェ」「マラナタ」のラテ

語を日本語にしてください。

 

A.

ご質問の言葉はほとんど、ラテン語ミサの時に使われていたものです。日本語の意味に少し説明を加えて

みましょう。

 

「ハレルヤ(alleluyah)」

ヘブライ語で「主をほめ讃えよ」の意味です。ラテン語では、“h”が無声となり「アレルヤ」になります。ミサ中の福音朗読の前に、みことばの中に現存される主を喜び迎えてアレルヤ唱を歌います。アレルヤは喜びの表現なので、四旬節中はアレルヤをひかえ、詠唱が歌われます。アレルヤは特に復活節中に盛大に歌われます。なお、もう少しくわしい説明を、「磯子」95号に載せます。

 

「キリエ(Kyrie)」

ギリシャ語で「主」を意味します。文章で言えば、「キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソン」で、「主よ、あわれみたまえ。キリスト、あわれみたまえ」という「あわれみの賛歌」です。主キリストにあわれみを願うとともに、慈しみ深い主を讃える賛歌です。ギリシャ東方教会の嘆願の祈りに対する会衆の応答として歌われ、5世紀後半にローマ典礼にギリシャ語のまま、取り入れられました。

 

「グロリア(Gloria)」

「栄光」の意味です。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)という天使の大軍の神を賛美する言葉で始まる「栄光の賛歌」です。父・子・聖霊をたたえながら、ミサで行なわれる賛美と感謝の祈りへと共同体を導きます。

 

「ベネディクトゥス(Benedictus)」

「祝福」を表す言葉で、「感謝の賛歌」後半部の「ほむべきかな、主の名によりて来る者。天のいと高きところにホザンナ」の「ほむべきかな」がそれにあたります。イエスがエルサレムに入城した時の群衆の歓呼の言葉が響いています。昔のラテン語ミサでは、「サンクトゥス」の賛歌の後に聖体制定句が唱えられ、その後に「ベネディクトゥス」が歌われた、と記憶しています。「サンクトゥス」は預言者イザヤが神に召された時に見た幻視(イザヤ書6:2〜3)に由来する感謝と賛美の賛歌です。

 

「アニュス・デイ(Agnus Dei)」

「神の小羊」を意味する、「平和の賛歌」です。「小羊」はイエスを表します。洗礼者ヨハネは自分の方へイエスが来られるのを見て言いました「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)。いのちのパンを食べ、キリストとの交わりの前に赦しを求め、いのちのパンを食べることにより全教会、全人類の平和と一致を祈ります。

 

「ミゼレーレ(miserere)」

ご質問の趣旨がよく分かりませんが、「憐れむ」の意味です。私はこの言葉を聞くと、「ミゼレーレ・メイ(わたしを憐れんでください)」で始まる詩編51を思い起こします。大きな罪を犯したダビデ王が、深く罪を悔い、神に憐れみを乞う詩です。

 

「アヴェ」

「おめでとう、めでたし」という挨拶の言葉で、「アヴェ・マリア」は「おめでとう、マリア」または、「喜びなさい、マリア」の意味です。天使ガブリエルが、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカ1:28)で始まるマリアに告げた受胎告知の言葉の冒頭句です。モーツァルトの曲で有名な「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、「めでたし、真の御体」で始まる聖体賛歌です。

 

「マラナタ」

正式には「マラナ・タ」という、イエスが使っておられたアラム語に由来します。「主よ、来てください」の意味で、聖歌の中では、「マラナタ、主のみ国が来ますように」と歌っています。コリント書の中でパウロは、「主を愛さない者は、神に見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)」(Tコリント16:22)と、終末を意識し、キリスト者は神の祝福に入るという確信をもって手紙を結んでいます。ヨハネは黙示録を、「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐ来る』アーメン、主イエスよ、来てください(マラナ・タ)」(黙示録22:20)で結んでいます。

 

(典礼委員長)