【キリストの聖体】

キリストの聖体の祭日は、典礼歴では、三位一体の主日の週の木曜日に祝われますが、日本では、その直後の日曜日に祝われます。教会は初代教会の時代から、「わたしの記念としてこれを行いなさい」というキリストのみことばを受けて、「主の晩さん」の記念を大切にしてきました。

この日は、キリストとともに神への道を歩む私たちにとって大切な「祭日」です。ミサの中で私たちはともに主の食卓を囲みます。パウロが言うように(*)、私たちは、キリストのいのちのパンをいただき、そのパンに養われ、キリストと一体となります。司祭は奉献文の中で、「聖霊に満たされて、キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように」と祈ります。私たちは、キリストにおいて、兄弟姉妹であり、真の教会共同体としてキリストを通して私たちを神にささげます。この秘義を忘れないように努めましょう。

この祭日に、子どもたちの初聖体が行われます。大きな喜びの日です。子どもたちと一緒に神に感謝するとともに、この子どもたちが、キリスト者として成長することができるように祈りの内に彼らを支えましょう。

(*)「わたしたちがささげる感謝の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではないか。パンは一つであるから、わたしたちは多数であっても一つのからだとなる。皆でともに一つのパンを食べるからである」(コリントⅠ10:16~17)。

 

【聖パウロ】 ― 「目からうろこ」の恵みを願って

6月29日は「聖ペトロ、聖パウロ使徒」の聖日です。聖パウロは私たちの保護の聖人ですので、私たちにとっても祝いの日です。この磯子教会が宣教共同体になるように、パウロに取り次ぎを祈りましょう。

パウロの回心の出来事は心に響きます。簡単にその出来事を述べてみます。

熱心なユダヤ教ファリサイ派であったパウロは、キリスト教徒を徹底的に迫害し、滅ぼそうとしていました。それが神に仕える道だと堅く信じていたからです。

それは、イエスの十字架の死から4、5年後の紀元35年ごろのことでした。パウロが、キリスト教徒を捕らえようと意気込んでダマスコに近づいた時、突然彼は、天からの光に撃たれ、地に倒れます。そして、復活のイエスの「なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞きます。パウロは戸惑いながら、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。イエスとパウロの摂理的な出会いです。立ち上がったパウロは視力を失っており、手を引かれてダマスコに連れて行かれました。

ダマスコにいたイエスの弟子、アナニアが、イエスの指示に従って「パウロの上に手を置いて言った。兄弟サウル(パウロ)、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊に満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した」(使徒言行録9:1~19参照)とルカは語っています。目からうろこが落ち、聖霊に照らされて、イエスがキリストであることを悟ったパウロは、洗礼を受け、今度は、いのちをかけて異邦人に福音を伝えるキリストの使徒となったのです。聖パウロの名を頂くこの磯子教会共同体の私たちも、「目からうろこを落とし」ていただき、澄んだ目でイエスを見つめ、聖霊に息吹かれ、イエスに繋がれ、イエスとともに福音を宣べ伝える道を歩みましょう。