感謝の祭儀(15


《信仰告白》 キリストの御からだを食べる前に司祭は、聖別されたパンを示し、「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」、と言って会衆を主の食卓に招きます。会衆は、「主よ、あなたは神の子イエス・キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」と信仰を告白します。このことばは、ヨハネ福音書6章の以下の二つの句から一つの信仰告白文として作られました。

「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ635)。

「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(ヨハネ668)。

 ちなみに、この信仰告白のことばは、日本の教会がローマの認証を得て用いているもので、ラテン語の規範版は、マタイの百人隊長の信仰告白のことば(マタイ88)を用いています。


《コムニオ》 イエスは、最後の晩さんの席で「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれ」(ヨハネ131)、弟子たちの足を洗いました。イエスに聞き従う私たちもイエスの弟子です。

私たちを深く愛し、つねに私たちと共におられることを望むイエスは、ご自分を「食べ物」として残されました。「取って食べなさい」と招かれた私たちは、生きているキリストを食べて、キリストと一体となります。

司祭は、原則としてそのミサで聖別された聖体を信者に「キリストの御からだ」と言いながら授けます。この意味は、パンがイエスの御からだであることを宣言すると同時に、いただく私たちがキリストとなることの宣言だと考えます。信者は心を込めて、「アーメン」と応えます。これは「そうです」を意味しています。

キリストとの一致に関して、ヨハネ福音書6章のいくつかイエスのみことばを聴きましょう。


「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終りの日に復活させる。」

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもいつもその人の内にいる。」


 イエスのみことばを味わいながら、いのちのパンを食べ、キリストと親しく交わり、共同体が「キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように」祈り、イエスを通して、イエスと共に父である神に賛美と感謝を捧げます。


《行列の聖歌》 コムニオの行列が続く間、会衆全員で聖歌を歌います。この聖歌は、共同体の一致を声の一致で表現し、心の喜びを示すために歌われます。ただ、行列している人たちは詩編が歌えないので、答唱の部分を繰り返し歌ったらいいと思います。


《拝領祈願》 沈黙のうちに静かに祈った後、司祭は拝領祈願を唱え、主の食卓に与ることができたことを感謝し、主の恵みを日々の生活の中で生かすことができるように祈り求めます。交わりの儀は、この祈りをもって結ばれます。