感謝の祭儀(14

 

《パンを裂く》 主の祈りを唱え、教会に平和と一致を祈り、相互の平和の挨拶が終わると司祭はキリストの御からだであるパン(ホスティア)を分かち合うために裂きます。小さな動作ですが、大事な意味があります。とくに第2バチカン公会議の典礼刷新によって、その大切さが再認識されました。

 原始教会では、「パンを裂く」がミサ全体を意味していました。キリストの復活と聖霊降臨を体験した使徒たちは、イエスをキリストと信じる者たちに最後の晩餐におけるキリストの動作とことばとその秘跡的意味を伝えました。原始教会共同体は、この出来事を記念し、忘れないように、使徒を中心としてキリストの御からだであるパンを裂いて分かち合う祭儀を大切にしていました。みことばに聴きましょう。

 

  「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である』」(ルカ2219)。

 

 原始教会で「パンを裂く」こと、すなわちミサが大切にされていた出来事を聖書から二か所だけ引用してみましょう。主の十字架の死に絶望し、エルサレムから逃れる弟子たちにイエスが寄り添い、夕食の席でパンが裂かれた時、弟子たちが復活のイエスに目覚めたエマオの物語も心に響きます。

 

 「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録24142)。

 「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(ルカ242021

 

ところで大切なことは、「パンを裂く」意味だと思います。それは、裂かれたパンを共同体が一緒に食べて、キリストにおいて一つに結ばれることを表しています。「大勢の信者が、一つの生命のパン― それは世の救いのために死んで復活したキリストである ―にともに与ることによって、一つの体になる」(総則83)ことです。パウロも教えています。

 

 「わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」(1コリント101617)。

 

《平和の賛歌》 司祭はパンを裂き、その小片をカリスに入れます。これは、別々に聖別されたキリストの御からだと御血が一体になることを表しています。この間会衆は、「神の小羊」を歌います。この言葉は、洗礼者ヨハネが、「イエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』」(ヨハネ136)と弟子たちに言った言葉です。会衆はキリストのパンを食べる前に、「神の小羊」であるイエスに、あわれみと平安を祈ります。