感謝の祭儀(12)

 

《交わりの儀(コムニオ)》 奉献文の後に、「交わりの儀」が続きます。わたしたちは今、パンとぶどう酒のうちに秘跡的に現存する主の食卓に与り、「いのちの糧」であるキリストの御からだと御血によって養われる秘跡に与ります。わたしたちは「キリストのからだ」をいただき、キリストと共に、また共同体の兄弟と共に御父に出会い、わたしたちを御父にささげます。

 キリストの御からだをいただくことを日本語では聖体拝領と言いますが、この語は、前述の意味を十分に表していないと考えます。キリストの御からだを個人的にいただくだけではなく、共同体の交わりをも深める意味を大切に考え、わたしはこの文で、聖体拝領ではなく、ラテン語の「コムニオ」を使います。コムニオの準備として三つの要素があります。

 

 《主の祈り》 司祭は会衆を、主が教えてくださった祈りへ招きます。わたしたちは、「主の祈り」を唱え、キリストと共にわたしたちの心を御父に向けます。

「主の祈り」に含まれる御父に向けての七つの祈願の内容は、ミサ全体の祈りの中に表れますが、コム

ニオの準備としてとくに二つの祈りが大切だと思います。

*「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。」

「日ごとの糧(パン)」には、二つの意味があります。一つは、わたしたちを支える食べ物であり、いのちに必要な事柄を願います。もう一つ、もっと大切なことは、「糧」に聖体の意味が込められているという理解です(総則暫定版81参照)。「ことばの典礼」でみことばに養われたわたしたちは今、キリストのいのちのパンが与えられるように御父に祈ります。このパンは、十字架上で御父にささげられたキリストの御からだであり、死者のうちから復活されたキリストの御からだです。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハネ651)とイエスが言われたパンです。このパンをいただくわたしたちがイエスのいのちに結ばれ、わたしたちの共同体が一つに結ばれるように御父に祈り求めます。

*「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。」

ミサ開祭の回心の祈りで神に罪のゆるしを願いました。コムニオの前にもう一度御父にゆるしを願い、また、「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカ637)というイエスのみことばに従い、わたしたちが互いにゆるし合い、和解を約束します。このことは、神のゆるしと兄弟相互のゆるし合いが神のみ旨を生き、教会共同体を築くためにどれほど大切かを示しています。罪のゆるしを祈ることがキリストの御からだをいただく(食べる)ふさわしい準備となります。

 

ミサの中での「主の祈り」の場合、終りに「アーメン」を唱えません。それは、「悪からお救いください」という祈願を発展させて、信者の共同体のために悪の力からの解放を願い(総則暫定版81参照)、イエス・キリストが再び来られ、神の国が完成されることへの期待を表明する「副文」が唱えられるからです。副文の最後に会衆は、「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」という栄唱をもって「主の祈り」を結びます。

(このテーマにつき、教区報80号の典礼コーナーをご参照ください)