感謝の祭儀(8)

 

《供えものの準備》 「ことばの典礼」が終わると、「感謝の典礼」の準備に入ります。まず司祭は、主の食卓である祭壇にカリス(ぶどう酒を入れる杯)とチボリウム(聖体容器)を置くコルポラーレと呼ばれる白い麻布を敷き、カリスを拭う白い布を用意します。奉仕者は、キリストの御からだと御血となるパンとぶどう酒を行列をもって祭壇に運びます。教会共同体が互いに助け合う必要のため、聖堂の維持・運営のため、また貧しい人のための献金も続いて祭壇に運ばれます。献金は食卓以外の場所に置かれます。行列して供えものを運ぶ間、会衆は奉納の歌を歌います。

 

 普通私たちは「献金」をささげもののしるしとします。しかし、ミサ総則には「献金または他のささげもの」と書かれています。ちょっとこれに関わる私の経験を述べてみましょう。

 もう20数年前になりますが、マニラで3週間にわたり、アジアのカトリック学校リーダー会議が行われ、私も参加しました。興味深かったのは毎朝各国が交代でささげるミサでした。それぞれの国の文化がよく表されていました。とくにフィリピンの奉納行列が印象的でした。献金とともに野菜とか果物も奉納していました。大地の土、織物の布地を奉納する国もありました。まさに「大地の恵み、労働の実り」をささげていたのです。

 典礼に関わる本によりますと、昔は、貧しい人のため、司祭の生活のため、教会堂の維持のために、信者が自分たちの労働で得た産物を持ち寄ってミサの中でささげていたようです。おそらくパンもぶどう酒も自分たちが作ったものをささげていたのでしょう。賑やかであると同時に、ミサに行動的に参加しているという意識が強く持てた奉納行列だったに違いありません。 

 

 供えものを受け取った司祭は、「大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となる」パンとぶどう酒をささげて祈ります。この祈りは、イエスの時代のユダヤ教徒が食事のときに唱える祝福の祈りから取られています。私たちも司祭と心を合わせて、「神よ、あなたは万物の造り主」と応えます。

 司祭はぶどう酒に少し水を混ぜます。これは、人間となられたイエスの神性の中に私たちの人間性が取り込まれるようにという象徴的な意味が込められています。

 供えものをささげる祈りの後、司祭は「神よ、わたしの汚れを洗い、罪から清めてください」と静かに唱えながら手を洗います。

 「感謝の典礼」というミサの大切な部分に入る前の「供えものの準備」は、奉納祈願によって結ばれます。この準備の意味をよく表している「キリストの聖体」の主日の奉納祈願をもって今回の記事を結びます。

 「喜びの源である神よ、この供えものをささげて祈ります。秘跡によって示される平和と一致の恵みを、あなたの教会にお与えください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」