感謝の祭儀(4)

 

【ことばの典礼】 私たちキリスト者が養われる神のことばの典礼の中心は福音ですが、主要な部分を構成するのは、聖書朗読、朗読の間にある歌、説教、信仰宣言、および共同祈願です。

 聖書を通して神は「今日」、私たちに語ります。「キリストは、ご自身のことばのうちに現存しておられる。聖書が教会で読まれるとき、キリストご自身が語る」(典礼憲章7)のです。神のことばを、私たちは沈黙のうちに、読むのではなく聴き、味わい、歌をもって応え、司祭の説教によって理解を深め、信仰を宣言します。そして私たちは、共同祈願によって教会全体の必要と全世界の救いのために祈りをささげます(「総則」55参照)。では一つ一つを考えていきましょう。

 

《第1朗読》 復活節を除いて第1朗読では、旧約聖書が朗読されます。思い返すと、昔の教会は旧約聖書を大事にしていなかったようです。私の子どもの頃、カトリック教会による旧約聖書の日本語訳がなかったことからも分かります。旧約聖書の大切さに気付いたのは、第2バチカン公会議以降ではないでしょうか。

聖書は1冊です。神は、新約が旧約のうちに秘められ、新約において旧約が明らかになるように計らっておられます。また旧約の主な目的は、メシアとしての主イエスの到来を準備し、預言によってそれを告げ、さまざまな予型をもってそれを表すことです(啓示憲章15,16参照)。新約聖書の中には、旧約聖書の神のことばが散りばめられています。

第1朗読は、その日の福音の内容に合わせた箇所が選ばれています。つまり、福音書で読まれるキリストのことばや行い、いろいろな出来事が旧約聖書の中に預言され、予型として表されていることを味わいます。

旧約聖書の内容は、たいへん理解し難い場合があります。そこで、アブラハム、あるいはモーセから始まるイスラエルの宗教的、歴史的、文化的背景などを学ぶと、聖書の理解に役立つと思います。

皆さまよくご存じの「エマオへの道」の物語を思い起こしてみましょう。主イエスの復活を信じることができない二人の弟子は、エルサレムを去ってエマオへ向かいます。そこに、弟子たちには分からないのですが、イエスが現れて寄り添い、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました」(ルカ24:27)。日が暮れ、一緒に食卓につき、イエスがパンを裂いたとき、二人はそれがイエスだと悟ります。そして、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていた」(ルカ24:32)ことに気づきました。ここに、初代教会共同体が感謝の祭儀の中で「ことばの典礼」を大切にしていたことがよく表れています。またイエスご自身「聖書はわたしについて証しするものだ」(ヨハネ5:39)と言っておられます。ここでの聖書はいうまでもなく旧約聖書です。

 

《答唱詩編》 第1朗読の後、聴いたみことばを静かに味わい、神の思いを黙想する助けとして答唱詩編が続きますが、「これは、ことばの典礼に欠くことのできない」(総則61)大切な部分で、歌うことが勧められています。聖書朗読と同様に大切な神のことばです。

 会衆全体で答唱句を歌い、詩編唱者の歌う詩編を聴き、味わいます。「聖書と典礼」の答唱詩編の下に、第1朗読を受けての詩編の説明があります。詩編による祈りの理解に役立つことでしょう。