感謝の祭儀―ミサ(1)

 

 第2バチカン公会議による典礼改革のお陰で私たちは、ミサと諸秘跡の意味とその大切さを深く理解し味わうことができるようになりました。有難いことです。神からいただいた大きな恵みです。

今回はミサについての理解を深めたいと思いますが、その前に、私自身が関心を持っているミサの歴史を簡単に振り返ってみましょう。

最初のミサは言うまでもなく「最後の晩さん」です。使徒の時代になってキリスト信者は、「週の初めの日」(ヨハネ20:1、19)を「主の日」と呼んで大切にし、主の過越を思い起こすために集い、キリストが残された「主の晩さん」の記念であるミサを行っていました。当時は、ミサという言葉は使われていません。使徒言行録は、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(2:42)と書き記しています。この「パンを裂く」ことはミサを意味しています。最後の晩さんの席で「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂」(ルカ22:19)いたイエスの行為からきています。現行のミサ典礼においても「パンを裂く」ことは大切な典礼行為です。ルカ福音書の中に、エマオへの道で復活のイエスと弟子たちが出会う物語があります。イエスが「聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。(中略)イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(24:13~35参照)という記事のうちにも初代教会のミサの様子を知ることができます。ここに、今の「ことばの典礼」と「感謝の典礼」がきれいに表現されています。

白浜 満師の「わかりやすいミサと聖体の本」(p.48~49の中で引用されている、ユスチノの文をもって、2世紀中ごろのミサをちょっと紹介しましょう。白浜師がゴシックで書かれた部分は現在の典礼で、その原型が分かるでしょう。本文には(中略)と書かれた部分がありますが、それは省略します。

 

 太陽の日と呼ばれている日に、町や村に住むすべての人は、一つ所で集会を催して、時間がゆるすかぎり、

使徒たちの記録や預言者たちの種々の書物を読みます。〈→聖書の朗読〉

 朗読者が読み終わると、指導者がこのような美しいことがらを見習うようにと、ことばをかけて励ましま

す。〈→説教〉

 それから一同は等しく起立し、祈りささげます。〈→共同祈願〉

 祈りが終わると……指導者のもとに、パンとぶどう酒と水が入った杯が運ばれてきます。〈→奉納〉

 指導者が祈りと感謝を唱えた後、〈→感謝の祈り〉会衆一同は喜びを込めてアーメンと叫びます。

 助祭と呼ばれる者たちが、列席者一人ひとりに「感謝がささげられた」パンとぶどう酒を配り〈→聖体拝領〉、不在者には持っていきます。〈→ミサ以外の聖体拝領〉  

 

 ミサの式次第は2000年の流れの中で変わりましたが、その本質となる部分は引き継がれています。私たちも、時間と空間を超えて、キリストの最後の晩さんに始まり、使徒の時代を経て今、共同体が共にささげるミサを大切にしましょう。ミサを理解することによって、典礼憲章が強調する「すべての信者が、十全に、意識的かつ行動的に典礼祭儀に参加する」(典14)ことができると思います。(つづく)