第2バチカン公会議(16)

 

 

 

③  昔、私たちは、聖書に書かれていることはすべて、一言一句誤りがない真理であって、そのまま受け入れなければならない、と教えられました。例えば、神は六日間で天地を創造し、七日目に安息されたこと、神は土の塵で人間を創造されたこと、アダムとエバは実際に存在した人間であったことなどなどです。実は、この文学的表現が意味することが理解できると、神の壮大な創造の業の神秘をもっと深く味わうことができるのですが、昔の多くの信者は、解釈せずに、文字通りに受け取っていました。新約聖書についても同じです。ちょっと古い話で恐縮ですが、16世紀のガリレオ・ガリレイが地動説を唱えたとき、聖書に反する異端として教会の裁きを受けたことはその一例です。進化論を肯定した考古学者である司祭の本が禁書になっていたことも古い話ではありません。

 

信仰の書である聖書の文字通りの解釈は、人間の理性的な思考に合いません。ヨーロッパにおいて20世紀前半から「典礼運動」とともに、教会の批判を受けながらも「聖書運動」がさざ波のように広まっていきました。一部の神学者による聖書の研究が少しずつ深まり、聖書に基づく説教や黙想が広まり、ラテン語の聖書が翻訳され、信徒たちも聖書が読めるようになりました。ある意味でこのような小さな運動が第2バチカン公会議で実を結んだ、と言えるかもしれません。聖書をめぐって保守派、進歩派の教父たちの間で激しい議論が行われました。その議論のうちに聖霊が働き、教父たちの思想も成熟し、時間はかかりましたが、公会議閉会を控えた1965年11月に「啓示憲章」が成立しました。聖書を読み、解釈する新しい視点が与えられたことは幸いでした。聖書の解釈について啓示憲章は次のように述べています。

 

「神は聖書の中で人間を通して人間の方式で語ったので、聖書の解釈者は、神が何をわれわれに伝えようと欲したのかを見極めるためには、聖書記者たちが実際に何を表現しようと意図したのか、神がかれらのことばによって何を明らかにしようと望んだのかを、注意深く研究しなければならない。(中略)聖書を解釈する者は、聖書記者が一定の状況の中で彼の時代と文化の条件のもとで、当時用いられていた文学類型で表現しようと意図して表現した意味を探求する必要がある」(12)。

 この新しい思想を受けて私も、多様な機会を利用し、聖書の歴史、時代的背景、文学類型、イエスの時代の宗教的、文化的、社会的、政治的背景、原始教会の様子、そして何よりも、日本語に翻訳されている聖書の言葉の本来の意味を学び始めました。そして、聖書にたいする理解とみことばを味わう喜びが、少しずつ深まっていったと自分では感じています。

 中でも一番のお恵みは、何回も聖地を訪れ、聖書を手に、ナザレからゴルゴタまでイエスの足跡をたどることができたことです。エルサレムで開かれた一カ月の聖書講座に参加し、聖書を読んだ後、現地に行くという貴重な体験もしました。最後の晩さんを終えたイエスと弟子たちが、ゲッセマニへと向かった石段が今も大切に保存されています。石の一つ一つに声をかけ、当時のイエスの姿を問いたい気持でした。

 

   磯子教会において、聖書100週間が始まったことは素晴らしいことです。同時に今、「レクチオ・ディヴィナ(聖なる読書)」と言って、聖書をゆっくりと読み、今、キリストが自分に語りかけるみことばを味わい、心に響かせるというグループ活動が広まっています。皆さまも、たとえ個人的にでも、聖書の中に現存するイエスに出会い、親しく語り合う時間をお持ちになったらいかがでしょうか。

 

  「天におられる父は聖書の中で深い愛情をもって自分の子らと出会い、彼らとことばを交わすからである」(21)。