「第2バチカン公会議後(13)」

 

 「教会憲章」について少し触れてみます。この憲章の内容もまた多様で、豊かで、深遠なものです。今回も、昔(第2バチカン公会議以前の意味)と変わったなあ、と私が感じた事柄を少し述べたいと思います。

 

昔、「教会」という言葉を聞いてすぐに頭に浮かんだのは、ローマ教皇を頂点とする司教、司祭という聖職者階級と、その管理のもとにある信徒というピラミッド型の制度、組織でした。そして、カトリック教会だけが不変で完全な真理を有しており、「カトリック教会の外に救いはない」と教えられ、外の世界は誤謬と悪に満ちているから、信徒は聖職者の教えや指示に黙って従えばよい、と言われていました。プロテスタントを始めとする他宗教に対しても不寛容で、鳥居をくぐってはいけない、などと言われ、軍国主義時代のキリスト信者は苦労しました。護教的教会にあって、信徒が教会活動に携わるということはありませんでした。掟を守ることが大切とされ、信徒の信仰は個人的で、自分の霊魂の救い、自分が天国に行けるようにと祈り、福音の喜びを他者に伝える宣教という考えはほとんどありませんでした。

 

【教会憲章】

 教会の刷新は困難な道でした。生みの苦しみを通して、19641121日に教会憲章が生まれました。当時、大きく揺れながら前進する公会議の流れを見ていて、私は聖霊の働きが目に見えるように感じていました。この憲章によって教会は大きな転機を迎えることになります。教会は生まれ変わり、新しい道を歩み始めました。閉ざされていた教会は、世界に向けて大きく開かれたのです。教会憲章は、冒頭の言葉をとって、ラテン語で「諸民族の光」と呼ばれますが、キリストのからだである教会は、教会内だけではなく、全世界のすべての人々に喜びと平和のメッセージである福音を伝え、人々の救いのために奉仕する教会へと変わりました。

「教会」はギリシャ語で「エクレジア」と言い、その意味は「集い」です。聖霊降臨によって誕生した教会は、神に選ばれて集められた民、すなわち「神の民」の集いであるという新たな考えが示されました。神の民には、教皇から信徒にいたるまで、すべてのキリスト信者が平等に含まれています。

正直言って私は、新しい教会観というよりも、これが本来の教会の姿であると感じています。「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(1ペトロ29)、という言葉が心に響きます。

 

教会憲章の言葉によって「教会」とは何かを学びましょう。

 「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具である」(1)。― 「秘跡としての教会」は、この公会議による新しい教会理解です ―

 「父はキリストを信じる人々を聖なる教会として呼び集めることを決定した。この教会は、すでに世の初めから予型によってあらかじめ示され、イスラエル民族の歴史と旧約を通して、感嘆すべきしかたで準備され、最後の時に設立され、聖霊の注ぎによって姿を現した。それは、世の終りに栄光のうちに完成されるであろう」(2)。 ― 「旅する教会」に繋がります ―

 「唯一の仲介者キリストは、自分の聖なる教会、信仰、希望、愛の共同体を目に見える組織としてこの地上に設立し、これを絶え間なく支え、この教会によって、すべての人に真理と恵みを分け与える」(8)。