第2バチカン公会議(9)

前回、1963年4月11日の聖木曜日に発表された回勅「地上の平和」がヨハネ23世の遺言になったことを書きました。この回勅は「現代世界憲章」にも影響を与えているので、もう少し、付け加えましょう。

「地上の平和」発布の日、教皇は、「主の晩さん」のミサを、外交団を前にしてささげ、この回勅についての演説をされました。世界のすべての善意の人々に向けられたこの回勅は、世界の多くの人々の心に響きました。

因みに、昨年2013年はこの回勅が発布されて50年を迎えました。その11月、例年の日韓司教交流会が日本で開かれました。そのテーマは「『地上の平和』」を共に学ぶ」でした。このことは、日韓の教会が現代世界の平和を考え、行動するために「地上の平和」という原点に戻ることの大切さを示しています。皆さまも機会がありましたらこの回勅をお読みになったらいかがでしょうか。

 

「地上の平和」を全世界に訴えた後、かねてから胃がんを病み、その身が心配されていたヨハネ23世の体調は、急激に衰えていきました。5月27日に最後のミサをささげた後、病床に就くことになりました。ヨハネ23世を愛する世界中の人が彼のために祈りをささげました。公会議終了まで生き延びることができないことを悟っていた教皇はご自分を、「教会と公会議と平和の維持のために祭壇の上にささげる」と言われた、と伝記は伝えています。

さらに臨終の教皇について伝記は、「国務長官に最後の接見をし、そのとき『いざ主の家へ行かんと言われしとき、われ喜べり』という詩編の一節を引用した後、最後の告白と、病者の塗油と、最後の聖体拝領の3秘跡にあずかった。彼はその場に居合わせた人たちに祝福を与え、感謝を述べ、とくにベルガモとソット・イル・モンテ(彼の故郷)について語った。彼はすべての人にゆるしをもとめ、愛を表明し、人々の多幸を祈った。繰り返したことばは『彼らの一ならんことを!』であった」(メリオル・トレバー著「教皇ヨハネ23世」 菊池雄二・小坂井澄共訳 p.418)と伝えています。

サン・ピエトロ広場に集まった多くの人々の祈りのうちに、1963年6月3日、「つなぎの教皇」と呼ばれながら、聖霊の導きによって教会史に残る偉大な公会議を主催したヨハネ23世は神の御許に帰りました。亨年81歳でした。公会議の終りとその実りを見ることはできませんでした。

 

今年、2014年4月27日、2000年にヨハネ・パウロ2世ご自身によって制定された「神のいつくしみの主日」にヨハネ23世は、ヨハネ・パウロ2世とともに列聖されたことは皆さまもよくご存じのことです。同じ時代に生き、お二人の活躍を記憶し、心に留めている多くの人が生存しているときに列聖されることに私は大きな喜びを感じました。

当日、サン・ピエトロ広場で、教皇フランシスコはお二人の列聖式ミサをささげましたが、80万人とも推定される人々がサン・ピエトロ広場とローマ市内を埋め尽くしていました。バチカン放送の映像を見ますと、世界各地から集まった人々の感謝と歓喜の姿が印象的でした。

ここではヨハネ23世に焦点をあてて、列聖式での教皇フランシスコの言葉の一部を紹介しましょう。

「…ヨハネ23世は、公会議を招集することにより、細心の注意をもって聖霊に忠実に聞き従う態度を示しました。教皇は、聖霊に導かれながら、教会にとっては牧者でした。彼は導かれた指導者、聖霊に導かれた指導者でした。これこそが教会に対する教皇の偉大な奉仕でした。それゆえわたしは、ヨハネ23世を『聖霊に忠実に聞き従う教皇』だと考えたいと思います」