第2バチカン公会議(8)

 

第1会期(1962年)において提起された議案は、典礼問題以外に、啓示の源泉に関する議案、広報機関に関する議案、教会に関する議案といった大切な議案がありました。しかし、このどれ一つも第1会期では承認されませんでした。多様な文化、宗教、思想、社会などを背景とした教父たちの意見をまとめるためには時間が必要でした。公会議において世界の多様な意見を聴き、聖霊に導かれ、教父たちの考えは次第に深まり、複眼的になっていきました。世界の多様性にキリストの光をあてるとき、それは分裂ではなく、人類の豊かさ、深さが浮かび上がってきます。そして、キリストにおいて一致できることに気づいていきました。

4年という時間の流れの中で行われた自由な論争、そして祈りと熟慮と黙想のうちに、教会はかつての教条主義、護教的姿勢、聖職者中心主義、排他的他宗教の批判・非難といった狭い内向きの姿勢から解放され、キリストの教会の使命は、全世界のすべての人に奉仕し、キリストの福音を全世界のすべての人に伝えることだというダイナミックな姿勢へと転換していきました。最終投票において、刷新された議案が大多数の賛成を得て成立したことがそれを物語っています。

典礼に関する議題は、1年後の第2会期(1963年)に「典礼憲章」としてこの公会議において承認された最初の公文書となりました。教会に関する議題は、第3会期(1964年)に「教会憲章」として、啓示の源泉に関する議題は第4会期(1965年)に「啓示憲章」として承認され、公布されました。

第2バチカン公会議において承認され、公布されたもっとも重要な四つの「憲章」を挙げておきます。ローマ教皇が公文書を発布する場合に、ラテン語の書き出しの語をもってその文書の名称とします。かっこ内はそのラテン語です。ある意味で内容を表していると思います。

 「典礼憲章」(Sacrosanctum Concilium―「聖なる公会議」 1963年12月4日

 「教会憲章」(Lumen Gentium―「諸民族の光」 1964年11月21日

 「神の啓示に関する教義憲章」(Dei Verbum―「神のことば」 1965年11月18日

 「現代世界憲章」(Gaudium et Spes)―「喜びと希望」 1965年12月7日

この他に九つの「教令」と三つの「宣言」が公布されました。

 

ここで、第2バチカン公会議からちょっと外れますが、第1会期が始まった直後に、「キューバ危機」が起こりました。ご記憶の方もおられるでしょう。その事件とヨハネ23世の関わりについて一言、ごく簡単に触れたいと思います。教皇の平和への強い望みが現れた出来事でもあったからです。

それは、キューバに設置されたミサイル基地をめぐり、アメリカとソ連(当時)が激しく対立し、すぐにも戦争勃発という危機的な状況に陥りました。しかし実は、アメリカのケネディ大統領もソ連のフルシチョフも、戦争を避けたいと思っていました。そこで、カトリック信者として最初の大統領となったケネディはバチカンと連絡をとり、それを受けたヨハネ23世はソ連に平和のメッセージを送りました。ソ連はそれを受け入れ、フルシチョフはキューバのミサイル基地解体をケネディに通知し、戦争の危機は去りました。

この平和のメッセージは、1963年の聖木曜日に発布された「パチェム・イン・テリス―地上の平和」という回勅として実を結び、世界の善意あるすべての人に呼びかけるメッセージとなりました。カトリック信者だけではなく全世界に向けた最初の回勅です。これはヨハネ23世の遺言ともなりました。