第2バチカン公会議(5)

 

世界の5大陸、つまり全世界からおよそ2,500人の教父(=司教)が参加したことは、公会議史上最大の規模でした。およそ100年前に開かれた第1バチカン公会議の参加者は、世界中ではなく、ヨーロッパ中から800人だったそうです。世界が狭くなったという感じとともに、キリスト教はヨーロッパの宗教であるという時代から地域を大事にする方向へと教会が転換し始めたことを意味するのかもしれません。

カトリック教会が真にカトリック的(普遍的)、福音的教会となるために、あらゆる面で教会自らを刷新し、キリスト者の一致、世界と教会の一致を願っていたヨハネ23世は、開会演説でその目的を明確に述べました。その全文は手元にないので、開会演説の一部を、改訂公式訳「第二バチカン公会議公文書」の総序で高見三明司教が書かれた文章から引用します。

「この世界会議にとって、もっとも重要なことは、キリスト教の聖なる遺産をいっそう効果的に守り、かつ告げることであります」。そして「キリスト教の教えのすべてが、現代の人から、新たな熱意と明るい穏やかな心をもって迎えられることです」。目が内向きではなく、世界に向けられていることが分かります。

 

第2バチカン公会議全体は四つの会期に分けられ、1962年10月11日から1965年までの4年間、毎年秋に1会期を約10週間として行われました。第1会期はヨハネ23世のもとで行われ、第2会期以降は、ヨハネ23世の遺志を受け継いだ教皇パウロ6世のもとで行われました。

公会議の議事の進行は、10の委員会から提出された草案を、サンピエトロ大聖堂で行われる教父たちの「総会」において討議し、その結果は投票によって採択、却下、あるいは委員会に差し戻すことに決められました。必要な修正がなされた文書は「公開会議」で最終的に採択され、その文書を教皇が承認し交付するという手順でした。

 

開会2日目の10月13日に、いよいよ第1回の総会が開かれました。この総会の最初の仕事は各委員会の委員を選ぶことでした。しかし、世界中から集まってきた教父たちはほとんどお互いを知りません。そこで12人の枢機卿から成る議長団は、教父たちのことを考えてのことかもしれませんが、180名の推薦者のリストを配布しました。皆、公会議準備の段階で経験を積み重ねてきた人たちです。議長団は、従来通りそのまま受け入れられると考えていました。しかし、そのリストに記載されていたのは、保守的な人々で、彼らが選ばれることが教皇庁にとって望ましかったのです。このリストにヨーロッパの一人の枢機卿が異議を唱えました。このリストは教父たちの選挙の自由を奪う教皇庁の圧力だと非難したのです。この発言は拍手喝采を受けたのです。議長の推薦者リストに反対したのは、リベラル派の教父たちでした。これはまったく異例なことで、第1回の総会は20分で閉会しました。この後、色々な裏の動きがあったと推察します。

10月16日、第2回の総会で投票が行われました。リベラル派の多数が選ばれましたが、規定の3分の2には達しませんでした。しかし、多数であることを理由にヨハネ23世は、その選挙を認めました。つまり各委員会の多くの委員はリベラル派が占めたのです。これはこれから始まる公会議の大波乱の序曲でした。