第2バチカン公会議(3)

 いよいよ、ヨハネ23世の意向にそって公会議の準備が始まりました。教皇が公会議開催を告げてから5カ月余りたった1959年6月18日、準備委員会のための予備会議が発足しました。この日は聖霊降臨の祭日でした。教皇はこの公会議を「新しい聖霊降臨」と呼び、聖霊の導きを信頼し、人々の心に聖霊の豊かな恵みが注がれるように祈り続けていたと言われています。

予備会議は、全世界の司教およそ2,500人、その他の高位聖職者、男子修道会長、カトリック大学に文書を送って議題を募り、得られた回答から議題を整理し、資料として報告書を作成しました。

1960年6月5日、この日も聖霊降臨の祭日でしたが、提出された報告書を基に、準備委員会が本格的に仕事を開始しました。

寄せられた回答には、保守派から進歩派まで多種多様な意見が含まれていました。突然のことで、公会議開催に抵抗する意見もありました。

教皇庁の準備委員会の中にも、ヨハネ23世の意向をよく理解できていない人たちがいたようです。作成した公会議の原案には、「刷新」という考えはあまり盛られていませんでした。伝統的、保守的で、護教的用語で固められており、刷新を期待していた世界中の心ある司教や神学者たちを大いに失望させたといいます。このことはヨハネ23世の、「公会議の準備は教皇庁の仕事ではなく、教皇庁の高位聖職者や顧問たちと共に、世界中の司教、学者たちが協力すべき」という準備委員会への苦言に繋がります。

準備委員会発足とともに、教会一致事務局が設置されたことは特筆に値します。キリスト教諸派の一致にたいするヨハネ23世の深い思いの表れです。この事務局はすぐに他の諸教派との接触を始めました。やがて、カトリック教会の公会議に、キリスト教諸派の代表をオブザーバーとして招くという、それまでの教会の歴史からは考えられないことが実現していきます。教派の壁を乗り越えたのは、以前に書きましたが、ローマ教会以外の地で働いた経験を持つヨハネ23世の善意、寛大な心、温かな人柄のお陰でしょう。このことは、「カトリック東方諸教会に関する教令」と「エキュメニズムに関する教令」として実を結ぶことになります。

 

公会議はすぐにでも開催されると考えられていましたが実際には、多くの問題や壁、刷新を望まない人々の根強い抵抗や妨げなどで、非常に遅れていました。ヨハネ23世は、自分の健康のこともあり、早く開いてほしいと願っていたようです。1961年8月の黙想のときに書かれた日記の一節は印象的です。

 

1958年10月28日、聖なるローマ教会の枢機卿たちが、キリスト・イエスの全世界の羊の群れの統治の最高責任者に、77歳の私を指名したとき、私は単に臨時的・過渡的教皇にすぎまいという噂がひろまった。ところがこれに反していま私は在位4年目にはいろうとし、私を注視し、期待している全世界の面前に、大きな計画を展開しようとしている」(「ヨハネ23世の魂の日記」より)。

 

同じ年の11月には、この頃から体調の異変に気づいていたのでしょう、死の覚悟をしていると思われるようなことに触れています。「老人にはありがちのことに違いないが、私もある病気の初期の兆候を感じる。それはときどき痛むし、悪化のおそれもあるが、心静かに耐えている。」