第2バチカン公会議(2)

 

2バチカン公会議開催に触れる前に、公会議以前の教会について少し書いてみましょう。私自身の、しかも子ども時代の思い出に基づくものですが、相違の一端を理解していただけるかもしれません。

 

ヨハネ23世が、キリスト教の一致を強く望んでおられたことは前に触れました。公会議を宣言した日である1月25日は「聖パウロの回心」の祝日であり、また、「キリスト教一致祈祷週間」の最終日にあたります。教皇はそのことを意識しておられたことでしょう。

少年時代を思い起こしてみますと、東方教会について教わった記憶はありません。プロテスタントについて言いますと、昔は新教と呼ばれ、カトリックは旧教と呼ばれていました。面白いですね、新教は新約聖書を用い、旧教は旧約聖書を用いると考える人が少なからず存在しました。私たちは、プロテスタントはカトリック教会から離れた異端であり、プロテスタントで訳された聖書を読んではいけないと言われていました。宗教改革者のルターについては、彼は悪人と評価され、ただただ、批判と非難の的でした。ルターの影響もあり、プロテスタントは聖書を大事にしていましたが、私たちは聖書を読まないように勧められていました。聖書より、公教要理が大事にされ、小学校高学年になると私たちは、公教要理を暗記し、毎日曜日、神父さまの前で覚えてきたところを口述するのです。それは知的な意味で良い点もあったのですが、聖書のことばをとおして告げられる神の思い、メッセージを学び、信仰を養成する考えはありませんでした。

カトリック信者もプロテスタント信者も同じキリストを信じながら、お互いに相手を退け、拒否し、非難していたことは本当に残念なことです。イエスのせつなる願いは、「すべての人々が完全に一つになる」(ヨハネ17:23)ことであったのに。

 

皆さんは、「開かれた教会」という言葉をよくお聞きになったことがあるでしょう。ということは、第2バチカン公会議以前の教会は、「閉ざされた教会」だったのです。

16世紀、ルターによる宗教改革により動揺し、混乱したカトリック教会は、教義を再確認し、教会を守るために公会議を開きました。トリエント公会議です。秘跡、ローマ・ミサ典礼書、聖書と聖伝、ローマ・カテキズム(公教要理)など、たいへん大切な事柄が決められた一方、教会は外の俗世界にたいして門を閉ざし、閉鎖的な守りの体制に入りました。内部を守るために強調されたのは、規律であり掟でした。

私たちは、イエスの救いと教えの喜びよりも、教会の掟を守り、罪を犯さないようにと教えられました。良い行いをして天国に行きましょう。これは罪、あれも罪だからやってはいけないと。祈祷書には罪のリストがありました。小学校低学年のとき、教会学校で地獄の絵を見せながら、大罪を犯したら地獄だよ、と教えられた時の恐ろしさ!その恐怖心から解放されたのは、第2バチカン公会議以後のことです。まさに「裁きの神」が強調されていました。神の赦し、神の愛と慈しみの教えとは程遠いものでした。

トリエント公会議で定められたローマ・ミサ典礼は固定化され、400年間一言一句も変わりませんでした。ラテン語のミサは理解できないのに、ミサに与る義務だけが強調されました。ミサに行かなかったら罪だと。ミサの前には、祈祷書で朝の祈り、天主の十戒、公教会の六つの掟を唱え、ミサが始まると皆、ロザリオを唱えたり、公教会祈祷文にそって祈ったりで、ミサは司祭の一人舞台でした。