福者ヨハネ23世教皇 (1)

 

カトリック教会が新しい歩みを始めた原点は、1962年10月11日に開会した「第2バチカン公会議」であることは前に書きました。この公会議について語る前に、公会議を開催した教皇ヨハネ23世について少し知っていただくことが必要だと考えます。福者ヨハネ23世は、福者ヨハネ・パウロ2世とともに間もなく列聖されますので、その人物像を知ることは意味があると思います。

ヨハネ23世の前任教皇はピオ12世で、1958年10月9日、在位19年、82歳で亡くなりました。私の記憶に残っているこの教皇は、貴族の家系の出身で、端正な厳しい顔つきの方でした。当時は世界的に不安定な時代で、テレビもなく、今のように教皇についての報道はほとんどなく、正直言って、極東の日本人信者と教皇との関わりをあまり感じることはありませんでした。

ピオ12世が亡くなり、葬儀などが終わって間もなくコンクラーベ(教皇選挙)が行われました。コンクラーベについては、今年3月、前教皇の退位に伴って行われた教皇選挙の際、テレビなどで広く報道されたので、皆さん、よく覚えておられることでしょう。コンクラーベは「鍵をかけて」という意味ですが、この言葉が表すように、教皇選挙は、ミケランジェロの「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂で、鍵を掛け、選挙の様子が外部に漏れないように、注意深く行われます。

ヨハネ23世の選挙のときは、投票3日目の10月28日午後、サンピエトロ広場に集まり、選挙の結果を待ち受けていた群衆は、礼拝堂の煙突からのぼる白い煙を見ることができました。間もなく、新教皇の白衣の姿が教皇宮殿のバルコニーに現れ、恒例の「ローマと全世界に」祝福を送りました。

実は私はそのニュースを聞いても、特別な感慨を覚えず、「ああ、新しい教皇が決まったんだな」ぐらいにしか感じていませんでした。ただ、写真で見た小柄で小太りの、優しい慈父のような温かい笑顔がとても印象的だったことを記憶しています。前教皇とイメージが違いました。しばらくたって、コンクラーベの模様、新教皇の人柄、教会への思いを知って私の教皇への思いは大きな期待へと変わりました。

コンクラーベに参集した枢機卿たちは、ふさわしい後継者を選ぶのにとても悩んだようです。たいへん優れた人物で、皆がぜひ教皇に、と望む人が一人いました。長年、ピオ12世のもとで働き、当時はミラノ大司教であったモンティーニ師です。しかし、残念ながらまだ枢機卿に任命されていません。そこで彼らは、モンティーニ師を次の教皇にと考え、今回は、高齢で、教皇の在位期間があまり長くないであろう人を選ぼうと考えたようです。そこで11回目の投票で選ばれたのが、77歳の誕生日を一か月後に控えたヴェネチアの総大司教アンジェロ・ロンカリ師でした。自分自身の人生と教会史の思いを込めて彼は、ヨハネ23世を名乗りました。このヨハネ23世は当時、「つなぎの教皇、穴埋めの教皇」などと、ひどい呼び方をされていました。

付け加えますと、この有望視されていたモンティーニ大司教は、ヨハネ23世によって枢機卿に任命され、ヨハネ23世の後継者パウロ6世となり、第2バチカン公会議を受け継ぎました。

  

◇参考文献:(少し古い文献です)

 「教皇ヨハネ二十三世」          (メリオル・トレバー著 菊池雄二・小坂井澄共訳 女子パウロ会)

 「法王の座」             (小坂井澄著 徳間書店)

 「ヨハネ二十三世 魂の日記」  (ヨハネ23世著 小林珍雄訳 エンデルレ書店)

 「バチカンこぼれ話」        (ホアン・マシア著 新世社)