クレド・ドミネ(1)

(主よ、わたしは信じます)

 インターネットでよくバチカン放送を見ます。サン・ピエトロ大聖堂前の広場、あるいは大聖堂内で教皇司式のミサが捧げられるとき、数万人もの会衆が歌う「クレド・ドミネ」が大きなうねりのように響いてきます。私たちの小さな磯子教会共同体がこの聖歌を歌うときにも、私たちは世界の神の民と一つに結ばれていることを実感し、嬉しくなります。

 

 第2バチカン公会議開幕50周年を記念する2012年10月16日に始まった「信仰年」も、2013年11月24日の「王であるキリスト」の祭日に終わります。今は、「信仰年」を定めた教皇ベネディクト16世の意図されたこと、公会議教父たちが諸文書を通して全世界の教会と私たち一人ひとりに伝えたメッセージを、私たちがどれほど理解し、信仰を深めたかを振り返るときかもしれません。

 しかし、最近なされた教皇フランシスコの聖霊に関わる説教の一節が私の胸に響きました。教皇は、第2バチカン公会議を「聖霊のすばらしいみ業」と呼んでいます。しかし教皇は、この公会議が私たちに求めたことをすべて実践したであろうかと問い、“No”と答えています。「私たちは公会議開幕50周年を祝い、記念碑を建てています。しかし、私たちは聖霊の働きに巻き込まれたくないのです。変化を望まないのです。中には、時計を逆回りにする人たちがいます。これが(かたく)なさというもので、彼らは聖霊の働きを無力にしたいのです」と、厳しい言葉を述べています。教皇は、第2バチカン公会議が提起した教会の刷新や変化、世界に開かれたはずの教会の対応が十分になされていない、という認識をお持ちなのだと私は感じます。50年間、生き生きとした刷新が行われ、伝えられていないとすれば、「信仰年」をこの1年で終わらせず、むしろ新しい出発点とした方がいいかもしれません。なぜなら、教皇フランシスコが、第2バチカン公会議のメッセージをもっと意識的に、もっと行動的に生かす新しい方向性を示すことが期待できるからです。これからも皆で、聖霊と教皇の導きに従い、「主よ、わたしは信じます」と信仰を告白し、「私たちの信仰を強めてください」と祈りながら、さらなる「信仰年」を生きていこうではありませんか。

 主イエスは生きておられます。私たちも主イエスの中に生きています。生きていることは成長することです。キリスト者として、お互いに支えながら日々新たな信仰の道を歩むことを私は期待しています。

 

 原稿を依頼されたとき、私はこんなことを考えました。「第2バチカン公会議」という言葉が繰り返し強調されている現状があります。確かに教会の歩む方向を大きく変えた大切な歴史的出来事でした。しかし、この公会議はもう50年も前のことなので、多くの信徒の方々はこの公会議が何であったかをよくご存じないのかもしれない。とすれば、若いときにこの公会議の動きや流れを実際に目にし、公会議による大きな変化を学び、体験したことを少しでも皆さまにお伝えするのは、年老いた信徒である私の役割ではないかと。もちろん私には、この公会議のほんのわずかな一端をお伝えすることしかできません。もし関心をもっていただけたら、公会議で出された文書や参考文献を読み、この公会議のメッセージとそのこころを学んでください。きっと新しい信仰の深みを味わうことができると思います。

 こんな思いで次回からしばらく筆を執らせていただきます。